日本三名城の一つ【熊本城】①
10月14日は
応募して当たった日帰りバス旅行で・・
家族で 『熊本城』 に行ってきました。
【ひごまる君とツーショット】
いきなりの登場でごめん。
日本三名城のひとつといわれる【熊本城】は
名将加藤清正(かとうきよまさ)が心血を注いで1607年に築城。
大小天守閣をはじめ、櫓(やぐら)49、櫓門18、城門29を数え
城郭の広さは約98ha(東京ドーム21個分)
周囲約5.3kmにも及ぶ雄大な構えだそうです。
【大小天守閣】
茶臼山の最高所、標高50mの天守台に築かれ
大小2つの天守からなります。
内部は戦闘に備えた部屋割りとなっており・・
(現在は熊本博物館分館で
1階は加藤家時代、2階は細川家時代、
3階は西南戦争関連の資料を展示。)
最上階からは遠く阿蘇の山並みが一望できました。
海外からの観光客もたくさん来られていました。
人の多さに遠慮してしまい落ち着いて写真を撮れなくて残念。
お次は 【本丸御殿】
行政の場、生活空間として利用された「熊本城本丸御殿」は
明治10年の西南戦争で焼失。
平成15年の秋から始まった「本丸御殿大広間」の建築工事は
江戸時代から残る絵図や文献、古写真、発掘調査を基に進められ
大広間(対面所)、数寄屋(茶室)、大台所等の復元工事も平成20年春に落成。
【大広間】
+.(ノ。・ω・)ノ*.オオォォ☆ その広さは圧巻!!!
時代劇でよく見かける大広間。
思わず走り抜けてみたい衝動にかられました。笑
「鶴之間」(60畳)から奥に向かって
「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」と続きます。
【昭君之間(しょうくんのま)】
対面所(藩主の会見の場)
本丸御殿の中で最も格式の高い部屋で
壁や襖などには中国の前漢の時代の話で
匈奴(現在のモンゴル)に嫁がされた悲劇の美女
王昭君の物語が描かれています。
とても煌びやかで美しかったです。
そして、有名な【清正流(きよまさりゅう)石垣】
「扇の勾配(おおぎのこうばい)」
「武者返し(むしゃがえし)の石垣」と称されます。
その技法は「打ち込みハギ」と呼ばれ
石を叩いて積みやすく加工し
石と石の間には割り石を打ち込みより堅牢になるように
また手がかりを少なくし登りにくくする工夫がされています。
永禄5年(1562年)6月24日尾張国(おわりのくに)生まれで
豊臣秀吉(とよとみひでよし)とは血縁関係にあり
双方の母親が従姉妹同士だったという説もあります。
治山治水、新田開発などに力を入れたり
南蛮貿易に乗り出すなど、積極的に領地経営を進め
どんどん豊かになり領民からは神様のように慕われた加藤清正。
善政だけではなくお城作りも天才で凄すぎます。
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